育休中に働き方改革、模索中。ちーちゃん(@chi_chi77777)です
妊娠を機に、仕事を辞め産後一年が過ぎた頃、じわじわとこみ上げてきた思い。
子どもと距離をおきたい。
毎日子どもと二人きりの生活に息が詰まる。
専業主婦でいるのが辛い。
社会に出て働きたい。
そんなことを考え始めた頃の私は「働きたい」を都合の良い言い訳にして子育てから逃げたい、そんな思いが強かったように思います。
子育てから逃げて仕事をするなんて。
こんなに小さい子を親から離れて生活させるなんて。
私、母親としてどうなんだ。
そんなことを頭の中でぐるぐる、ぐるぐると考える日々の中、それでも現状を変える何か突破口はないかと探していた矢先に、運よく仕事と保育園がほぼ同時に決まりました。
私は子育てから逃げることに成功したのです。
でも、いざ、働きだすと、自分は子育てから逃げるために働くことを選択したという罪悪感が消えずにいました。
また、子どもを慣れない環境に送り出すことへの罪悪感も加わって、やるせない気持ちに押しつぶされそうになりました。
それでも、忙しなくすぎる時の流れに身を任せていると、罪悪感も少し薄れ、これでよかったのかなと思えるようになってきた頃、たまたま本屋さんで手にとった絵本に私は救われました。
あ、逃げてよかった。そう思いました。
また、これからの時代を生きる子どもたちに、是非手にとってほしい本だとも感じています。
今回は、私が抱いていた罪悪感から解放されるきっかけになった絵本をご紹介します。
ヨシタケシンスケ『にげてさがして』
私が、子どもをあずけて働く罪悪感から解放されるきっかけを与えてくれた絵本は、ヨシタケシンスケさんの『にげてさがして』です。
ヨシタケシンスケさんの作品は、う〜んと考えさせられたり、なるほどね!と新しい視点から物事をとらえるきっかけがもらえたり、何ともいえない素朴なイラストも魅力的で子どもも大人も一緒に楽しめて大好きです。
こちらの作品は、3歳の我が家の息子にはまだ少し難しいので読み聞かせるというよりは、いつか自分で読んでほしいなと感じています。
多様性の時代を生き抜いていく子どもたち、どこか生きづらさを感じている大人たちに応援メッセージを送ってくれる作品です。
逃げることは、悪いことなのか?
子どもをあずけて働くことへの罪悪感。
その罪悪感の正体は一体何でしょう?
どんな気持ちから罪悪感が生まれているのでしょうか?
私の場合は、「働きたい」を都合の良い言い訳に子育てから逃げる。
そう思ってしまうことが子どもに申し訳ない。
こんなお母さんでごめんよ…、お母さんのわがままにつきあわせちゃってるね…。
なんて感じてしまって、罪悪感でいっぱいでした。
にげることは はずかしいことでも わるいことでもない。
きみのあしは「やばいものからにげるため」についているんだ。
『にげてさがして』ヨシタケシンスケ
私は、母親である前にひとりの人間として生きています。
毎日辛くてどうしようもなくてこのままでは気が狂いそう、いや、もう半分狂ってきてる。
そんな自分自身が発するSOSに目を向けて、自分と子どもを守るためにどうすればいいか必死になって考えて出した選択肢が子どもを保育園にあずけて働くことでした。
今は、あの時、逃げてよかったと心から思います。
もちろん、あの時逃げた自分を責めることもありました。
泣いて嫌がる子どもを置いて出勤する度に、本当にこれでよかったの?
やっぱり家で一緒にいればよかったのでは?
そう思うのは、あの時、逃げたから。
でも、じゃあ、またあの頃に戻って子どもと二人きりの生活を再スタートさせるとしたら?
きっと、私は、「この子のせいで働くことを諦めなければならなかった。」
そんな風に考えてしまう。
「私はこの子のために働くのをやめたんだ。」
そんな風には到底思えないし、それもまた子どもに対して恩着せがましいなと私は思います。
もう少し、あとほんの少し頑張れば子どもも楽しく保育園に通ってくれるようになるかもしれない。
だって、楽しそうにしている他の子たちが周りにいるから。
今はその可能性にかけてみよう。
そう思って耐えてみました。
揺れ動く気持ちを押し殺し、毎日を過ごしていると、子どもが笑顔で手を振って走って保育園の先生のところへ行くようになり…(嬉しいような、ちょっぴり切ないような)
今度は、逃げなくてよかった。そう思いました。
保育園でいろいろな歌を教えてもらったり、季節のイベントを楽しんだり、私が子どもにしてあげられないことを経験して驚くべきスピードで成長していく子どもに出会うことができました。
そして、また私は逃げてみようか迷っています。
子どもは認定子ども園に通っているので、年少クラスになり、同じ園に通いながら保育利用ではなく幼稚園利用も可能に。
やっぱり子どもと過ごす時間をもう少し長く持ちたい。
今なら、子どもと一緒にいても辛くはないかもしれない。
子どもを見てもらえる時間内で働くことが私にとってはちょうどいいことかもしれない。
これも、最初に逃げる選択をしたから出会えた、また新しい私の逃げる選択肢。
こうやって逃げて、探してを繰り返していくんでしょう。
じぶんを かえるために うごいてもいいし、じぶんを かえないために うごいてもいい。
『にげてさがして』ヨシタケシンスケ
逃げた先にあるものが、思っていたのと違っていたら、また逃げてもいい。戻る道を考えてもいい。
逃げるか戻るか、留まるか。
どの道に行っても、行き止まりはなくて、その道でしか出会えない選択肢がきっとまたやってくるから。
「現実から目を背けるな!逃げるんじゃない!」とか
「それは逃げではありません、大丈夫」とか
そんな人から見えてる自分の様子を気にして立ち往生してる時間ってもったいないのかも。
だってその人はそのセリフを吐いてもう逃げ去って行ってる。決して、私を救ってくれるわけじゃない。
最後は自分で決めて、自分の足で進んでいくしかない。
私は逃げます。
だって逃げなきゃやばい気がするから。
それでいいと私は思います。
そう思わせてくれたこの絵本に感謝です。
やばい!とおもったら すぐうごく。
すき!とおもったら すぐうごく。
ぼくたちは、うごくために いきているんだ。
『にげてさがして』ヨシタケシンスケ
今思うと、いつの間にか自分で作り上げた母親像に縛られて、自分を追い詰めていたように思います。
今は、そんなものはぶっ壊して頭も心も柔らか〜くいきたいと思っています。
なかなか難しいけどねっ!!!w